その成長意欲が苦しみを生み出す

「もっと練習して上手くなりたい」
「もっと勉強して賢くなりたい」

という台詞をよく見かけます。

おそらく本人達はあまり深く考えずにその言葉を発しているのでしょう。

 

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しかし僕からすれば、これらの言葉は苦しみへ繋がる合言葉にしか聞こえないんですよね。


僕は何かしらの技術や知識を習得しようとするとき、
「もっと上手くなろう」とか「もっと賢くなろう」とは言ったり思ったりしないようにしています。


何故なら、
そういう考え方は自分が意識しているしていないに関わらず、他人との比較に注意が向いてしまうものだからです。


そうなれば、
「自分はこの人より上手い。でもあの人よりは下手」
「自分はこの人より賢い。でもあの人よりは馬鹿だ」

という、無意味なセルフトークが生まれてしまう。

もちろん誰かをロールモデルにするのも悪くはないと思いますが、大抵はモチベーション不活性に陥ります。
挫折する人もいるかもしれません。


能力の伸び方には個人差がありますし、そして何よりも、他人との比較で一喜一憂することに意味がないと思っています。

どれだけ成長したところで、世の中には自分よりもっと上手い人やもっと賢い人がいる。
そんな当たり前のことについて考えたところで苦しみが増すだけです。

他者比較は、成長から得られる喜びを苦しみに変えます。

じわじわと、自分でも気づかないうちに。


Instagramなどで投稿された友人の日常を見て、自分の日常と比べて落ち込んでしまったような経験のある方はこの感覚が理解できると思います。


代わりに、
こう言い換えるようにしています。

「できることを増やそう」
「知らないことを知ろう」

意味はほぼ同じですが、言い方を変えるというのは非常に重要だと思うんですよね。

前者の「上手くなろう」「賢くなろう」は、他人から相対的に判断するために使われる言葉です。

自分はこれが上手い、自分は賢い、
と言うためには、必ず比較対象が必要です。
他者から相対的に見ないと、自分が上手いのかどうかはわからないし賢いのかどうかなんていうのもわかりません。


ですが、できることを増やすのに他者との比較は要りません。
知らないことを知るというのも同じです。

これは他者を必要とせず、対象は常に過去の自分です。


言い方を変えるだけで、他者との比較から過去の自分との比較に自然にシフトします。


そうすると他者を見てもそこまで焦らなくなる。


過去の自分に勝つために、他者を見る必要はないからです。


これを意識するだけでも、人生における苦しみの10%くらいは無くせるのではないでしょうか。


まぁ、他人との比較をスパイスとして欲するならそれも良いのかもしれないですけどね。