「自信がある」は大抵怪しい

僕は子どもの頃、親や周りの大人達から「自信を持て!」と言われながら育ちました。

皆さんもそんな経験が多かれ少なかれあるでしょう。

当時の僕としては「いやぁそんなこと言われてもなぁ...」という感覚でした。

 

人が「私には自信がある」と言うとき、なんとなく周りの期待感が高まります。そう言ってる本人もきっと自信があるのかもしれない。たとえ根拠がなかったとしても。

 

ただ正直、この「自信がある」という言葉には違和感というか、大きな矛盾を感じざるを得ないんですよね。

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そもそも「自信がある」と言うときって、どんな時でしょうか?

僕は大きく分けて3パターンあると思ってます。

①自己認識が欠如している

②とくに何も考えていない

③本当は自信ないが認めたくない

この3つに共通しているのは、能力の不足です。ここで言う能力というのは、経験や知識も含みます。

人には、能力や知識が不足している分野に対してやたらと自信過剰になるという不思議な傾向があります。心理学で言うところのダニング=クルーガー効果ですね。これは特に①と②にあてはまります。③は単純に自己愛と不安が混ざり合ってる感じですね。

物凄く簡単に言えば、弱い犬ほどよく吠えるということです。

 

確かに、思い当たる節はあります。

僕達って、身近な人や有名人を指して

「あいつよりは俺の方が絶対賢い自信あるわ」

「さすがにあんな奴には負けない自信あるぞ」

って言う時、ありますよね。

でもこういうときって、大抵はどんぐりの背比べなんですよ。

 

考えてもみてください。

小さい子どもにも同じセリフを吐きますか?

多分吐かないと思います。

何故でしょう?

 

それは、自信のある無しに関わらず、自分がその子どもより知的にも肉体的にも優れていることを"知っている"からです。(多くの場合)

 

もう一個質問します。

あなたは1人で自力で服を着れますか?

 

「なんて失礼な!着れるに決まってるだろ!」と答えるはずです。

 

でも自信があるとは言わない。

それは、あなたが1人で自力で服を着れるということを"知っている"からです。

なのでわざわざ自信を持ち出す必要がない。

 

どうやら自信というのは、多くの人が期待するほどの価値はあまりなさそうです。

もちろん、時には自信があるように振る舞わなければいけない場面もあります。その場合は見せ方や演出の問題なので全くの別です。(格闘家の試合前のパフォーマンスとか)

 

次に考えてみたいのは、

「自信がない」は悪なのか?という問題について。

あくまで僕の見解ですが、自信のなさは卑屈にさえならなければむしろ利点の方が大きいというのが結論です。

 

自信がない人はそれを受容してる限りにおいては事前に分析や準備を重ねる可能性が高いので、結果的にパフォーマンスを発揮しやすいのではないかと思います。

「自分がもし間違っているとしたら?」と考えるので、もっと勉強したり調べるようになる。

 

ところが変に自信を持っている人は、このままでもいいと思い込んでいるので準備や分析を怠ってしまう。いわゆる慢心ですね。

そういう意味でも、自信満々の人には惑わされないようにしたいですね。自信に満ちた言葉には力がこもってるから、なんとなく説得力があるように錯覚しちゃうんですよね。政治家とか宗教家なんかはそれをよくわかってる。

 

自信というのは結局のところ、自分の空虚さを埋めるための手軽な手段でしかない思っています。カップ麺みたいな感じです。でも大して栄養にならないから、長期的に見ると健康を害する。

逆に言えば、自信がないということは容量の空きがあるという捉え方もできるわけで、それならまずは自信より先に知識や経験を詰め込んでしまおう!なんて考えたりもします。

 

でも確かに、技術や知識量が増えるとむしろ自分に自信が持てなくなっていくんですよね。

例えば僕の場合、色んな書籍を読めば読むほど自分がいかに物を知らないかっていう現実に打ちのめされるんです。そして知らないことも増えていく。

 

しかし専門家レベルにもなると、その辺の自己評価が少しずつ右肩上がりになっていくようです。

グラフで見るとこんな感じですね。

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お、希望が見えてきたぞ。

僕もなんとか右へ行けるように頑張ります(笑)

※このグラフの信憑性については現在議論になっているようなので、あくまて参考程度に留めておいて下さい。