不便が人を幸福にする

結論から先に言います。

不便こそが人を幸福にする。

そして幸福とは今この瞬間に意識を集中させることです。


現代人の集中力は金魚並に低下している、という話は聞いたことがあると思います。

聞いたことない人も、直感的にそう感じる機会は多いのではないでしょうか?

これにはさまざまな要因はあると考えられますが、
1つ大きなものとしては、

この世の中があらゆる面で豊かになりすぎた

ということだと思っています。

ここでいう豊かさの代表例が、生活の効率化です。


例えば僕らはご飯を食べる時、わざわざお店に行ってテイクアウトしなくてもウーバーで注文すれば家から出るまでもなく届きますし、置き配にすれば配達員とコミュニケーションをとらなくて済みます。

読みたい本があったとして、わざわざ本屋に行かなくてもAmazonでポチれば翌日には届きます。

昔の人は洗濯板でゴシゴシ手動で洗っていたのが、今では洗濯機が自動で洗ってくれる。


つまり、人間のあらゆる活動が効率主義になっていっている。

これが時短効果を生み、それによって浮いた時間で他のことができるようになる。

今回のテーマは、
この効率主義からもたらされる豊かな生活が、時に僕たちを不幸にするのではないかいうことです。


もちろん、効率的に物事を進めることや生活が豊かになることそのものを絶対悪だと言いたいわけではありません。

基本的には良いことですが、ダークサイドもあるということです。

というのも、人間は豊かになればなるほど集中力が削られがちだからです。


何が言いたいかというと、
生活を効率化することであらゆる活動が時短になったことで、かえってやる事が無駄に増えてしまっているということ。

人間は効率化によって同じ時間内で様々な事ができるようになってしまった。


しかし人間の脳は1度にたくさんの事をこなせるようにはできていないので、キャパシティを越えてしまう。

そんな状態では何かに集中することなどできません。


そうすると、自分にとって本当に大事なものまで見えなくなってしまう。

大事なことに時間を使えていない人生に果たして意味があるでしょうか?

 

時には効率や利便性を捨てて、敢えて手間のかかることをしてみると違った景色を見られるかもしれない。

別に洗濯機があるのにわざわざ洗濯板で服を洗えと言っているわけではないです。(ある意味それも良いかもしれないけれど)

スマホを置いて散歩に出かけてみるとか、
ウーバーを使わず手の込んだ料理を作ってみるとか、

そういった不便さは手間のかかる分、ある程度の辛抱強さが必要です。
正直、面倒臭い。
退屈ですよ。

しかし、これこそが集中力の源泉です。


1つのことに長く時間をかけるということは、それだけの集中力が求められるということです。


そして人間が最も幸福だと感じる瞬間というのは、何かに集中しているときです。

本質的に、僕たちは今この瞬間にしか生きられない。


今この瞬間は、集中をすることによってのみ本物の体験になる。

今ここに生きているという意識がなければ、それは死んでいるのと同じだと思っています。


今こそ効率化で忙殺された自分から脱却し、今この瞬間に目を向けるときです。


本当の自分を取り戻そう。